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ごろうです。
「日本語音読指導者」になるにあたって提出した作文の続きです。
今日は
「音読の効果について」
日本語を話すことがあたりまえの僕らにとって、
「音読」って言われてもことさらピンとこないとは思いますが・・・
音読はやばいです。
というよりも松永暢史先生の
「カタカムナ音読」がやばい。
その効果の一端を記したものが以下の作文です。
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② 【音読の効果について】
音読を始めてまず気がついたのは、自分の声の変化である。その質感が明らかに変わってくる。言葉にするのは難しいが、なにか奥深さが伴うようになったと自覚している。
素直に褒めてくれるのもダメ出ししてくれるのも、隣でわが音読を聞くともなしに聞いている小学校二年生の息子だけであるが、いい音が出せた時は「プロの人のようや」と最高の評価が出る。「プロの人って誰やねん!」と思わず心の中でツッコミを入れてしまうが、間違いなく自分史上最高の音。自分独自のヒビキが最高に心地よい。
自分の声にうっとりとするなんてちょっと変態っぽいが、この体験は貴重である。自己肯定感にもつながるし、何より自分のことが大好きになる。
さらに、古事記以前の古史古伝の文献から古事記・万葉集を経て現代まで重要どころを押さえながら数多の名文を一気通貫で音読する効果も計り知れない。日本の優雅さ、おおらかさ、明るさ、愉快さ、繊細さや力強さなど、素敵な日本の発見に繋がった。
中でも日本語。日本人にとってこのあたりまえの日本語は、世界的にはかなり特殊な言語だそうだ。英語のアルファベットのように単なる記号ではなく、あ・い・う・え・おの一音一音に意味合いなりイメージなり情感が含まれている。そんな言葉を話すことで虫の音が心地良く聞こえるなど自然とつながり調和する感性が育まれるらしい。だからこそアメリカで、日本語を解さない外国の人たちが、あえて日本語の音をツールとしてヒーリングに活用していたのだ。
ここまでくると不思議なことに、自分が発する言葉を大事にせずにはおられなくなる。
たとえば不平や不満を、自分がうっとりとする声で素敵に響かせるのは難しい。そもそも波動が違う。言葉を粗末に乱暴に扱うのは全くもってもったいないと感じるようになった。美しい音色と相性が良いのは、やはり思いやりのある言葉、やさしく愛のある言葉だろう。また日本語の響きそのものが自然や周囲の人たちとの調和をもたらす働きをもっているので、言葉を大事にするということは自分自身や周りの人や環境を大事にするということにつながる。
日本語音読で世界が変わる!
とまで言うとさすがに言い過ぎかもしれないが、自分が何をどう響かせるのか?で少なくとも自分の周りの現実は見事に創造されている気がする。
(続く)