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なぎさです。
今日はとても個人的な内容です。
実は今月初めに祖母が他界しました。
97歳でした。
ここ数年は認知症が進んでいたものの、
これまで大きな怪我や病気もなく、
きっと100歳まで生きてくれるものだと思っていました。
なのに突然、心肺機能が弱まっていると救急搬送され、
あっという間に旅立ってしまいました。
当日、私は沖縄出張中で、
にぎやかな国際通りのど真ん中で訃報に接しました。
あまり実感がないまま慌てて福岡に戻り、
告別式で祖母の顔を見て初めて
「あぁ。おばあちゃんにはもう会えないんだなぁ」と感じました。
戦争の時代を生き抜き、小学校の教員をしていた祖母。
55歳で退職してからはそれまで無頓着だった美容に目覚め、
88歳まで現役で働いていました。
両親が共働きだった私は、小さい頃からおばあちゃん子で、
恋人ができると両親より先に祖母に紹介したりしていました。
ハイカラで、オシャレだった祖母とは身長や足のサイズも同じだったため、
洋服やブーツのおさがりをもらったこともありました。
泊りに行くといつもつくってくれた鯛茶漬けは私の大好物で、
今でも最後の晩餐にしたいくらい思い出の味です。
苦しむことなく、眠るように旅だった棺の中の祖母の顔は少女のように綺麗でした。
母から祖母が60歳を過ぎてからアートメイクをしたことを聞いたのが、
この日一番の衝撃でした。
「無償の愛」「つらい時ほど口角を上げて」が口癖で、
いつも優しく、チャーミングだった祖母。
一緒に働いていた叔母(祖母にとっては実の娘)が
いろいろと祖母の話をしてくれていたのですが、
もともと教員だった祖母は人に教えること、人前で話すことが大好きで、
美容の講師をしながら全国を飛び回り、
「こんな楽しい仕事はない」と話していたそうです。
「まるでいまのなぎさちゃんみたいだね」と言われ、
私の中に祖母の血が流れているのだなと確信しました。
最期に祖母が残した直筆の手紙には
コロナ前に会ったきりの我が家の双子についても書かれており、
ひ孫に会わせることができたことは本当に良かったと思いました。
また、こうやって命のバトンが引き継がれ、
血がつながっていくのだなとあらためて感じました。
もう会えないのはさみしいけれど、
私の心の中には祖母との思い出がたくさん残っています。
おばあちゃん、今まで本当にありがとう。
これからも天国で見守っていてね!